こんにちは。大学教育センターのT&Wです。今年度4月に大学教育センターに着任した中尾佳行教授をご紹介します。
中尾教授は2016年3月に広島大学を退職し、現在は本学で英語の教育・研究を行っています。専門は英語学で、チョーサーを中心に研究しています。
実は、私(W)は学生時代から先生を存じ上げていたのですが、なかなかお話しする機会がありませんでした。
今回、ブログで先生をご紹介する機会に乗じて、色々とお話しをさせていただくことができました!!ブログネタを超えて、学問の話、研究周辺の話などなど(ここではお話しできないような内容を含む)、いろいろ意見交換することができました。
ということで、インタビュー形式で中尾先生をご紹介したいと思います。
中尾佳行先生(研究室にて) |
若松(以下W):さっそくですが、先生のご専門を教えてください。だいたいは存じ上げているのですが…。(私の興味から)少し詳しくお願いします。
中尾(以下N):私の研究領域を一言で表すなら、「英国中世詩人チョーサーの言語・文体研究」といったものでしょうか。
チョーサー(Geoffrey Chaucer, c.1343-1400)は、英国中世において活躍した詩人で、『トロイラスとクリセイデ』や『カンタベリー物語』が代表的な作品です。英詩の父とも称されています。
チョーサーが活躍した時代は、イギリスとフランスとの100年戦争(1339-1453)のさなか。若いときにフランスとの戦争に従軍し、捉えられ捕虜にもされています。Richard 2世の治世においては、宮使いをしており、ロンドンの税関長、森林官、土木建築の監督官などを歴任。実際ロンドンの税関長の折には、ロンドン城壁の一つの門、Aldgateが仕事場であり住居でもありました。
戦争のさなかのこと、壁の内にいるか外にいるかは、命にかかわる問題でもありました。更には、政治的な内紛もあり、チョーサーは体制派と反体制派のいずれに組するか、その緊張関係にもおかれてもいました。
チョーサーが活躍した時代は、イギリスとフランスとの100年戦争(1339-1453)のさなか。若いときにフランスとの戦争に従軍し、捉えられ捕虜にもされています。Richard 2世の治世においては、宮使いをしており、ロンドンの税関長、森林官、土木建築の監督官などを歴任。実際ロンドンの税関長の折には、ロンドン城壁の一つの門、Aldgateが仕事場であり住居でもありました。
戦争のさなかのこと、壁の内にいるか外にいるかは、命にかかわる問題でもありました。更には、政治的な内紛もあり、チョーサーは体制派と反体制派のいずれに組するか、その緊張関係にもおかれてもいました。
チョーサーは、当時の生活言語としての英語の他に、当時まだ宮廷で使われていたフランス語、中世の共通言語であるラテン語、そしてチョーサーの家の近くにイタリア商人が住んでいたことからイタリア語にも堪能でした。イタリア語ができたことからイタリアに外交使節として2回送られてもいます。そこで逸早く開花していた、人間中心主義、ルネッサンスの息吹にも触れています。
チョーサーは、教養があるにも拘らず聖職者ではなく、宮廷人でありながら騎士でもなく、また商人(父が葡萄酒商)の出身でありながら商人でもなく、沢山の文学作品を残しながら作家というわけでもありませんでした。彼の立ち位置自体、曖昧性のある境界線、中間点に立つnew manでした。
チョーサーは、教養があるにも拘らず聖職者ではなく、宮廷人でありながら騎士でもなく、また商人(父が葡萄酒商)の出身でありながら商人でもなく、沢山の文学作品を残しながら作家というわけでもありませんでした。彼の立ち位置自体、曖昧性のある境界線、中間点に立つnew manでした。
チョーサーは小さな存在、弱い存在に優しい、柔らかい目線を注ぎ、そこに宿るものは、大きな存在、形而上学的な問題と同じくらいに奥深く、意義深いことを描いています。彼の言語に通底する「共感」の感性は、このことを見ごとに表しているように思います。春の「柔らかいつぼみ」、「つがう小鳥たち」に目が留められます。人間もまるでこのように弱き柔らかき(“tender”)存在であるかのように。彼が好んで使用した次のことばはこのことを凝縮しています。“Pitee rennet soone in gentil herte.”(Pity runs soon in gentle heart.)
W:そういえば(失礼!)、先生は附属学校の校長?園長?をしていたという話を伺ったことがあるのですが。。。
N:広島大学に在職中、附属三原学校園の校園長(2006~2009年度)を併任で務めました。同学校園は、園に入る3歳児から中学校を卒業する12歳までの12年間の幼小中一貫教育を行っています。ここでの経験は、同じ一つのことを話す時でも、園児にはワクワク・ドキドキ感を与えるように、小学生にはぼんやりとしても大志の道筋を示すように、そして中学生には知的好奇心を高めるように、話すことを教えてくれました。少し大げさに言えば、グローバリゼーション下の曖昧性の幅のある境界線に立ち、状況に応じて切り替える、生き抜く知恵を授けられたように思います。
(という、インタビューによくあるやりとりの後、1時間ほど専門的な話をしましたので、その部分は端折ります。。。それでは味気ないので、先生のご著書の紹介を。)
The Structure of Chaucer's Ambiguity |
Chaucerの曖昧性の構造 |
W:最後に、学生へのメッセージをお願いします。
N:大学は「学ぶことを学ぶ」場であると考えています。<何>を学ぶかは、専門性により無限に広がっていき、ゴールのないものです。しかし、その学び方は、勿論多様性があることを否定はしませんが、無茶苦茶に広がっていくものとは思いません。今まで見てきたものでも、今までとは違った見方をしていけば、思いもしなかった新たなものが見えてきます。
“Unlearn” するとは、「学ばないこと」ではなく、「学び返す」(学びほぐす)ことです。皆さんが福山大学にいて、この “Unlearn” を繰り返し、「学ぶことを学ぶ」、つまり「学び方」をしっかり身に付けてもらいたいと思っています。私にとって、「現在時制」は<現在の瞬間>のみ言うのだと思っていましたが、ある時、そうではなく「現在の習慣」を表したり、いや「普遍的な真理」まで表すパワーを持っている、と<学び返し>ました。
学長から一言:チョーサーについてのこのインタビューの記事だけでも、おもしろいですねー。。。このおもしろさをぜひ学生に伝えてくださいねッ!!!期待していま~す!!!