2015/04/21

時をつくる

経済学部税務会計ブログ担当のCです。

今回は、経済学部入谷純教授から寄せていただきましたエッセーを紹介します。

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 今年の桜は暖かくなってすぐに満開になり,雨にあって数日で散りました。そんなある日,大学会館沿いの道を登っていると,桜の花びらがヒラヒラと落ち,音もなく道の上に落ちました。それまでの動きが嘘で,それ以前からそこにあったようでした。動から静に,あるいは静から動に転ずるのを見る時,往々にして,時を感じます。





 かつて,中国唐時代の詩人杜甫(とほ)が、


国破れて山河あり,城春にして草木深し…
と詠みました。季節は変わらずくりかえす,そして大自然(山河)も変わらない。でも,国は破れ,昔にぎわった城は荒れて草木が生い茂っているというわけです。静の中に動を置くことで,杜甫は,深い情感をもって,時の経過を見たのでしょう。もっとも,この詩の最後には,
 白頭掻けば更に短く,すでに簪(しん)に耐えざらんと欲す

とあり,「俺の頭も禿かけて簪(かんざし)をつけることもできない」と嘆きます。時のうつろいが杜甫自身にもあったことを,ほろ苦い思いで言っています。
 また,平家物語に大原御幸(おおはらごこう)という下りがあります。平家の滅亡後に平清盛の娘徳子が隠棲した大原に後白河法王が訪れたというお話です。後に江戸時代の俳人内藤丈草が,
 大原や蝶のでて舞うおぼろ月
という絵画的な句を詠みます。丈草が平家物語を意識していたかはよく判りませんが,この俳句と平家物語が重なって響きます。
   毎年毎年春が訪れ(おぼろ月が照り),大原には蝶が舞っているという変わらない世界がある。一方で,蝶は平家の家紋だったのです。いつも変わらぬ世界と滅亡した平家が一つの光景に活写されているようです。丈草は時の経過を大原と蝶に見たのかも知れません。
 杜甫の時のながれや丈草の時間は大変ダイナミックです,10年から500年のお話しです。より繊細な「時」を詠み込んだ句があります。

 古池やかわず飛び込む水の音(芭蕉)
 これはほんの数秒という「ほのかな」時の経過です。静まりかえって全く動きのない風景の中で,ポチャンと蛙が飛び込み,動が静を破ります。かすかな音が「あっ,時がつくられた」という色彩感のある想いを芭蕉の中に,引き起こしたのでしょう。
 さて,大学では卒業生が旅立ち,新入生がやってきました。卒業生は社会で,そして新入生はこの大学で,素晴らしい時をつくることになるのでしょう。


学長から一言:財政学の権威の入谷教授、なかなかの詩情の持ち主ですネッ。。。少々意外!??!。。。かくいう私の専門は、時間の心理学。。。少々意外?!!?