学長ブログスタッフMです。
人間文化学部人間文化学科が開講している授業科目の一つに「ヨーロッパ文化研修」という科目があります。この科目は、普段の授業でヨーロッパの文化や歴史について学習し、その集大成としてヨーロッパへ実際に行って、見聞を深めるという授業です。隔年で開講されており今年は、その開講の年に当たり、22名の学生が実際にドイツ・イタリアを訪問しました。この旅行に引率した、人間文化学部人間文化学科 原 准教授に聞きました。
原先生、研修旅行の様子を聞かせてください。
人間文化学科でドイツ思想や美学を講じている原と申します。人文系の授業ではどうしても書物の読解作業に重きが置かれがちですが、私たち人間文化学科では積極的に現地に調査にも赴く実践的態度を養うためにフィールド・ワークを学科の特色の一つに掲げています。その一環として開講されたのが「ヨーロッパ文化研修」です。他にも学生に人気の「京都研修」や「地域文化研修」など国内での研修もありますが、「ヨーロッパ文化研修」のユニークな点は、授業と研修旅行を一体として単位化したところにあります。4年の準備期間を経て2004年度に第1回の研修旅行を開始して以来、これまでにヨーロッパ文化に関係する専門を持つ3人の教員が交代で引率にあたり、イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・スイス・オーストリアに足跡を残して来ました。
第5回目となる今年度は、学生の希望により研修地をドイツ、イタリアの2カ国に定め、機内での2泊を含めた10日間の研修を企画しました。授業としてはすでにこの研修を企画する段階から始まっており、学生も企画には積極的にコミットし、ただ受動的に連れて行ってもらうのではなく研修候補地を調査し絞り込む能動的な姿勢が求められます。肝心な研修費用については、幾つかの旅行社から教員が見積もりを取って交渉に当たります。その際に最も重要なのが、できるだけ多くの学生に参加してもらえるよう少しでもリーゾナブルかつ安全なプランを作成すべく、複数の旅行社と互いに競合させながら交渉するという厄介な仕事です。というのも、ただ安ければいいという訳ではなく、安くても移動の際のリスクが高ければせっかくの研修も台無しですので、安全性と経済性のバランスを考慮してプランを作り上げねばならないからです。
今回の研修ではこれまでの過去4回の研修にはない初めてとなることが多々ありました。なんと言っても参加学生の多さです。20名を超える(それも人間文化学科の学生だけで)のは初めてで、もう一人引率教員を増やすことも検討されたくらいでした。
さて、前置きが長くなりましたが、それでは今回の研修の様子を写真も交えながら紹介していきましょう。日本出発は早朝5時からで、バスを1台チャーターして尾道、松永、福山を経由して岡山空港に向かいました。案の定、寝坊でバスに乗り遅れる学生が1名出て、急ぎ親の車で空港に向かい、何とか合流することができました。無事全員がチェックインを済ませていざヨーロッパへ、と言いたいところですが、岡山空港からは直行便はなく、まずは中継点となる上海へと飛びました。
ドイツ行きの乗り継ぎ便が深夜遅く日付が変わる頃に出発するために、昼前に着いた私たち一行は空港で12時間も過ごすわけにも行かず、予定通りやむなく半日の上海観光ツアーに参加しました。近頃日本でも話題になっている大気汚染が大変気がかりで、私以外にもN95規格の防塵用マスクを着用している学生がいました。今回が初となったのはアジア系航空会社のみならず、ヨーロッパ研修直前のこの中国観光もそうで、現在の中国の活気などを直に体感し、異文化への視野を広げるいい機会にはなりました。
上海:外灘にて |
上海:豫園にて |
早朝5時過ぎにドイツのフランクフルト空港に無事降り立った私たちは、最終目的地であるイタリアのローマに向かう貸切バスを乗り継ぎながらのヨーロッパ縦断8日間の旅に、機内での睡眠不足を引きづりながらも、意気揚々と出発しました。ドイツ最初の訪問地は、ドイツ最古の大学がある典型的な大学都市ハイデルベルク。まずは腹ごしらえと言うことで、地元の由緒ある旅館でヨーロッパ最初の朝食を取りました。ドイツのパンの美味なことは周知の通りですが、学生の食欲の旺盛さには旅館の人も「もうなくなったのか?」とドイツ語で悲鳴をあげるくらいでした(ドイツ語を解す私には筒抜けでした)。ハムやチーズにその他もろもろをたらふく平らげたのちに、いざ観光に出発です。ネッカー川沿いに古城がそびえるこぢんまりとした大学町ですので、徒歩で日本人ガイドとともに市の立つ広場から出発し、途中ケーブルカーで城山を登り、ハイデルベルク城に到着。城主や建物について歴史的な解説を聞きながらつぶさに城内を見学しました。これも初めてですが今回は添乗員やガイドも含めると総勢25名にもなるので、旅行社がインカムの音声ガイド機器を用意してくれ、聞きもらす心配もなくローマまでしっかりガイドの解説を聞けたのはなによりも有り難く、研修の成果を挙げるのに大いに役立ちました。昼食はドイツ料理定番の焼きソーセージをたっぷりのマッシュドポテトとともにいただき、今夜の宿のあるロマンチック街道のハイライトとも言えるローテンブルクに向けて出発しました。今回の研修で気になっていたのは天候でしたが、幸いなことに訪問地ではドイツで雪が時折ちらつく程度でおおむね青空の晴天に恵まれ、特にイタリアに入ってからは好天続きで、ローマでは暑さを感じるほどでした。
ハイデンベルク:老舗ホテルにて朝食 |
ハイデンベルク城にて |
翌2日目の午前中はドイツでは初めてで数少ない自由時間ということもあって、町の規模の割にはお土産屋が立ち並ぶ市内で、おのおのお土産探しに精を出していました。特にテディベアやフランケンワインを扱うお店が人気でした。昼食はこれもドイツ料理の定番の一つシュニッツェルが供され、ドイツ語教科書にも出てきた一シーンを引き合いに出して、楽しい一時を過ごしました。小雪がちらつく中、ローテンブルクを後にした私たちは、ロマンチック街道を南下して、ドイツで3番目に人口の多いドイツ南部最大の都市ミュンヘンに向かいました。小さな田舎町からいきなりアウトバーンにのって大都会に出て来た私たちを迎えたのは、大都市に特有の週末の渋滞でした。何とか夕方までにはホテルに到着したものの、辺りは結構な雪が降り積もるミュンヘンとはいえかなり郊外の町でした。急ぎ近場で必要な買い物を済ませて、またバスで市内のレストランまで夕食を取りに出かけました。食事は白身の魚料理で、ドイツ独特のポテトサラダも添えられてなかなかの美味でした。
ローテンブルク:城壁の外にて |
ローテンブルク:ホテル金鹿亭(左手前) |
翌3日目は朝8時にはホテルを出発してミュンヘン市街の中心部を短時間でガイドとともに駆け足で観光し、10時過ぎにはドイツ最後の宿泊地となるフュッセンに向けて急ぎ出発しました。あまりの滞在時間の短さに、学生からも後でもう少しじっくり観光したかったとの意見が多く寄せられました。これも8日間に訪問地を8つも詰め込んだのだから彼ら自身の選択によるもので、仕方ないとも言えます。お昼にフュッセンに到着してすぐに昼食となり、南ドイツの名物料理でマウルタッシェンという餃子に似た料理が出ました。今回の研修プランではほぼ毎食、食事が付いていましたが、どれも飽きさせないよう地元の名物を取り入れる工夫がなされているのには感心しました。また一応デザートまであり、女子学生には好評でした。
ミュンヘン:新市庁舎の前にて |
ノイシュヴァーンシュタイン城 |
そしてついに、今回の研修旅行でもっとも移動時間(約8時間)も距離(約500キロ)も長くて過酷な、まさに研修の峠ともいえる4日目を迎えました。雪で真っ白に覆われている峻険なアルプスの峰々の間を縫うようにバスは一路、南国のイタリアに向かいます。ゲーテの詩「ミニヨンの歌」の一節「君知るや、檸檬の花咲く国へ」が思わず口に上りました。オーストリアに入ってインスブルック近郊で休憩した後、イタリアとの国境となるブレンナー峠を雪が強まる中、除雪車を横目に見ながら越えていく際には若干不安を覚えましたが、イタリアに入ってからは雪もおさまり徐々に天候も回復し、ヴェローナの手前で休憩を取ったときには、雪の心配など吹き飛んでいました。
雪のイタリア国境:ブレンナー峠 |
ヴェローナ:ジュリエットの部屋のバルコニ |
シェークスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』で有名な町ヴェローナは今回初めて訪問しましたが、イタリア4大観光地の一つとされているだけあって、ローマのコロッセオよりも前に造られたアレーナと呼ばれる競技場を初めとする古代ローマ時代の遺跡を多く残し、『神曲』を書いたダンテが活躍した町でもあり、落ち着いた雰囲気の素晴らしい町でした。イタリア人ガイドがとても人なつっこく、人間文化学科の学生だというと、ルネサンスを生みだした人文主義の国イタリアではいまでも人文学専攻の学生は高く評価されていると言い、立ち寄ったカフェの店主にも私たちを紹介してくれていました。その後、バスはさらにその日の宿泊地であるヴェネツィァ(ベニス)近郊に向かってひた走ります。車中ではそろそろ学生の間に疲労感が漂い始めているのが分かりました。こんなにバスでの移動が疲れるとは思ってもいなかったようです。
研修5日目となる翌日は実によく晴れ上がった格好の観光日和となり、朝食を済ませるとすぐに橋を渡ってヴェネツィァ旧市街に向かいました。周知のように自転車すら入れない旧市街への唯一の交通手段である水上バスに乗り込み、波に揺られアドリア海の匂いをかぎながら進むと、遠くに見えたサンマルコ寺院が徐々に近づいて来ました。独特のとんがり屋根の鐘楼とドゥカーレ宮殿がおりなすサンマルコ広場の景色は美術館の絵画で見たとおりの姿で私たちを迎えてくれました。ゴンドラの行き交う運河、狭い路地にひしめく商店。カーニバルの仮面が土産物として有名で、さっそく買い求めた学生たちは仮面を付けて記念写真を撮っていました。イタリアに来てからの現地ガイドはいずれもキャラクターが濃く、ここヴェネツィァでは坊主頭のイタリア人ガイドが、まさにお経のように独特のイントネーションで日本語解説をするのが大変面白く、今でもその口調は耳に残っています。昼食はイタリアといえばパスタと言うことでイカ墨パスタがでて、メインは鰯のマリネで久しぶりに新鮮な魚を食べることができました。それからバスに再び乗り込んで、ルネサンスの花開いた町フィレンツェを目指します。通行税の手続きに手間取り、ホテル到着が遅れ、夕食はこの日は珍しく各自で済ませる事になっていましたが、長旅の疲れでレストランに行く気力もなくスーパーで簡単なものを買って済ませる者が多かったようです。
ヴェネツィア:水上バスにて到着 |
ヴェネツィア:仮面を付けた学生たち |
翌日は研修も6日目を迎え、いよいよ終盤に入りました。半日観光、半日移動というこれまでのペースは変わらずで、ウィフィツィ美術館で有名な「ヴィーナスの誕生」や「春」をガイド付きで鑑賞した後は、花のドゥオモ(聖堂)に入場しルネサンスの息吹を体感しました。その後昼食でまたもパスタを取り、再び午後はバスでの移動となりました。余りに駆け足で巡りすぎたことへの後悔の念が徐々に学生の中に出てきているようでした。前回の研修と違って、連泊が最後のローマだけという今回の研修は移動も多く慌ただしいハードスケジュールとなることはある程度事前に予想していたでしょうが、それが体験してみると予想以上だったようです。これに追い打ちをかけたのが、ローマ市街に入る直前に起こったトンネル内での事故による不測の大渋滞で、1時間半ほども無駄な時間をバスで過ごす羽目となりました。乗用車1台にトラック2台がからむ大事故で、事故現場を通り過ぎる際に垣間見た大破して潰れた乗用車の運転席は今も網膜に焼き付いています。この大渋滞のため先に食事を済ませてからホテルに向かうことになり、ローマとはいえ郊外の大型ホテルに着くとドッと疲れが出たのは言うまでもありません。
フィレンツェ:アノル川にかかるヴェッキオ橋 |
フィレンツェ:花のドゥオモ |
さて研修も残すところあと2日(正確には1日半ほど)となりました。7日目となるローマでは今回の研修では最初で最後となる一日にわたる市内観光です。晴天のなか、まずはお決まり通りトレビの泉で肩越しに小銭を投げてから、スペイン広場に向かい記念撮影。次にコロッセオに向かい、今回初めてコロッセオ内部を見学しました。昼食は近くのレストランで巨大なピッツァ・マルガリータを頬ばり、午後からはいよいよ研修最後のハイライトといえるヴァチカンに向かいます。午前中は近頃引退を表明したベネディクト16世の謁見式のため一般の観光は禁止されていたので、多くの観光客が午後のヴァチカンに押し寄せ大変混雑していました。ヴァチカン美術館の名品の数々は、日本人ガイドの実に懇切丁寧な名解説で大変興味深く鑑賞することができ、続くカトリックの総本山サンピエトロ寺院では我々には疎い宗教的背景も交えながらの名ガイドに学生も大いに知的刺激を受けていたようです。近日中に法王の後継者を選ぶコンクラーベが行われるとあって、システィーナ礼拝堂もどことなく緊張感が漂っていました。その後市内で夕食をとってホテルに戻りましたが、この日ほどバスでの長距離移動のいらない連泊の有り難さが身にしみて感じられた日はないでしょう。
ローマ:スペイン広場にて |
ヴァチカン:サン・ピエトロ寺院前にて |
最終日となる翌8日目はいよいよ自由研修日です。これまでほとんどガイドを伴う集団行動でしたが、初めて自分たちの関心に沿って行動プランを立て、グループで行動しました。ホテルから市街までは、スリが多いことで知られる地下鉄は避けてホテルのシャトルバスを利用しました。多くのグループがまずは私と一緒にフォロ・ロマーノという古代ローマ時代の遺跡群を見物に出かけました。古代ローマ時代の歴史に詳しくないので解説するどころではなく、ガイド本を片手に見て回りましたがそれなりに古代ローマ帝国の繁栄の名残を感じ取ることはできたよう思います。その後三々五々のグループに分かれ、各自関心のある名所を回っていました。昼過ぎの2時にはもうホテルに戻るグループも出てきて、4時半にはホテルに全員集合して、ローマ・フィウミツィーノ空港に向かい、行きと同じく上海を経由して帰国の途につきました。上海での出発が遅れたために岡山空港には1時間遅れで到着し、なんとか空港リムジンバスの最終便に乗り込むことができました。
今回の研修では、短期間の内に多くの都市を訪問できた反面、一つ一つの都市をじっくり見て回ることでできず印象が薄くなったようです。それは学生たちのアンケートにも表れており、多くの都市を訪問できて良かったという感想もありましたが、全体としてはバス移動が多く慌ただしかったという感想が大勢を占めていました。今後、研修プランを企画する上では良い経験になったと思います。
ともあれ、全員病気や事故や犯罪に遭うことなく無事に研修を終えることができてなによりでした。末筆となりまして恐縮ですが、今回の研修に当たって奨学金を支給していただいた学長先生ならびに大学の法人事務局、そしていろいろと面倒な手続きをおかけした経済・人間文化学部事務室の事務の方には、この場をお借りして深く感謝申し上げる次第です。
原先生、大変なご努力と長期出張お疲れ様でした。
参加した学生も学生生活の中で、最も印象に残る授業の一つになったのではないでしょうか。
学長から一言:このブログの3月5日投稿に登場する学生です。短期間でしたが、よい研修になり、次の勉学の引き金になったことと思います。原先生本当にお疲れ様でした。