ブログスタッフのAFです。1月12日に宮地茂記念館で行われた松浦史登副学長の最終講義に出かけて来ました。当日は教え子や先輩・同僚の先生方、知り合いの方々など九州から駆け付けた方も含め、9階のホールがほぼ埋まる大盛況となりました。
(受講者の集まりを待つ松浦先生)
(講義の準備)
演題は「ある分析屋の旅日記」と興味津津のタイトルです。
長い旅の始まりは、広島大学での指導教員の「松浦君、ちょっと顔を貸してくれ」の一言、これで1年半後に近大理工学部で助手として研究者の道を歩み始め、以後ミシガン州立大学留学、福山大学と脂質、タンパク質の糖鎖構造分析を巡る旅が続きます。
旅は道連れ世は情け、旅の道すがら多くの人々と出会います。ミシガン州立大学では生涯の恩師Sweeley教授の薫陶を受け、分析屋として開眼されたようです。先進的な分析機器への驚き、一枚の分析チャートから研究者として認められたこと、家族ぐるみの付き合い、など人生の転機の時期と感じられました。
(ミシガン州立大学時代)
次第に分析屋としての講義は熱を帯び、専門用語や複雑な分子構造が飛び交い、素人には理解不能となりましたが、松浦先生の情熱と多くの学問的な成果は十分感じることが出来ました。学生から「鬼の松浦」と畏敬されたのはこのころのことでしょうか(ちなみに数年後からは「仏の松浦」と呼び名が変わったとか)。
(講義風景)
第二部は会場を福山ニューキャッスルホテルに移し、古希祝賀会・生物化学研究室同窓会です。来賓の方々や多くの教え子の祝辞に続きバースデーケーキが運ばれ、やや照れながら7本の蝋燭を一吹きで消して日頃のパワーを見せます。
(一息でバースデーケーキを吹き消し)
お祝いの記念品はゴルフバッグと中に入った希少品のパター、やはり松浦先生といえばゴルフですね。アメリカ留学中に大幅に腕を挙げ、今やエージシュートを密かに狙っているとの声も聞かれます。「松浦は何をしにアメリカに行ったのだ?!」とのやっかみの声もあったようですが、ひとたび何かを始めれば集中して事を極めるのが松浦流。ゴルフのみならずテニス、囲碁をものにし、研究成果を次々と挙げ、新学部を立ち上げ、今は福山大学の大黒柱として八面六臂の活躍・・・恐れ入るしかありません。
(記念品はゴルフバッグとパター)
祝賀会終了後も教え子たちに囲まれ、記念撮影を次々せがまれ、松浦先生は本当に嬉しそうでした。分析屋としての旅には一区切りをつけたようですが、福山大学教育改革の推進者としての役割はますます大きくなり、松浦先生の旅はまだまだ終わりそうにありません。
学長から一言:松浦先生は教育担当の副学長ですので、日頃は「学士力の質保証」だの「学修ポ-トフォリオ」だのと口走っておられることが多いのですが、今回は、その根底にある熱~い研究者魂を見せていただきました!