2012/02/29

ちょっとした疑問―その2

学長室ブログスタッフのMです。
ちょっとした疑問シリーズとは少し外れるかもしれませんが、「気になったことをウチの教員に聞いてみた」のでブログ読者の方へもお伝えします。

祇園精舎の鐘」というタイトルで、平家物語の冒頭の部分を取り上げたことがありました。これに関連して、昨年末から気になっていたことがあります。大河ドラマの平清盛のことです。平清盛と言えば平家物語。

本学にはこの平家物語を含む中世文学を研究している教員がいます。人間文化学部 人間文化学科 位藤邦生教授です。
授業で取り上げている題材は
「日本の王朝文学1」で『伊勢物語』、
「日本の王朝文学2」で『源氏物語』、
「日本中世文学の鑑賞1」で『新古今和歌集』、
「日本中世文学の鑑賞2」で『百人一首』、
「日本の中世文学1」で『徒然草』、
「日本の中世文学2」で『平家物語』
などです。

中世の小説のおもしろいところや、現代の小説との違い、学問としての小説のとらえ方などについて、位藤先生に聞いてみました。
M:位藤先生、中世の小説はどこがおもしろいのですか?


位藤:先ず「中世の小説」という言葉を、「中世の軍記物語」と言い替えた上で、お話しましょう。いわゆる「小説」は案外新しい言葉で、坪内逍遙がnovelの訳語として導入したと言われています。一方「物語」は、千年以上も前から使われており、『伊勢物語』等の「歌物語」、『竹取物語』『源氏物語』等の「作り物語」とならんで、中世になると『保元物語』『平治物語』『平家物語』といった「軍記物語」が登場します。これらは近代の「小説」とは異なる性格を持っているので、以下には「軍記物語」という名称を用いることにします。
さて一口に「軍記物語」の面白さと言っても、そのあらわれは様々です。まずは文体の魅力。
現代の、一種冗長とも言える言文一致体の文章とも、やまと言葉を多用した平安時代の和文体とも異なって、中世には、和文体に漢語を多く取り入れた新しい文体(所謂和漢混淆文体)が登場しました。この文体を駆使して、集団での合戦の場面―馬の匂いや汗の匂い―や、そのころ急速に実力をつけてきた武士の行動や新しい価値観などが、目を見張るように生き生きと描かれました。これが第一の魅力です。
平安時代の文学にはたびたび「宿世(しゅくせ・すくせ)」という語が登場します。ひとりの人物の生涯に現前する、前の世からの因縁を指します。一方、『平家物語』にはそれにかわって「運命」の語が出てきます。「一門の運命」と言うふうに、個人の運・不運を超えた、その人をとりまく、いわば環境の因縁です。運命には逆らえぬ武士たちは、従容として、一門の運命に従い、精一杯に生き、そして死んでゆきます。そういう人間群像の描かれかたが、軍記物語のさらに大きな魅力です。
次に第二の質問に答えましょう。即ち「現代の小説との違い」です。現代の小説では、多くの場合、作家がその作品(=小説)で表したいと思った思想やテーマを、登場人物の行動や心理を通して表現します。一方、たとえば『平家物語』では、いったんは栄華を極めた平家一門が、源氏がたに追いつめられて、ついには滅亡した悲劇が、平家の人々への「鎮魂」の祈りとともに語られます。小泉八雲の再話で有名な「耳なし芳一」が、亡霊に連れ出され、ざわざわとした人々の気配の前で『平家』を語ったとき、平家の怨霊たちの泣き騒ぐ気配が芳一の耳に届いたように、『平家物語』は第一に、平家の人々への魂鎮めの技でした。
あまりに長くなりました。少しはしょって答えましょう。第三の質問は「学問としての小説のとらえかた」でしたね。『平家物語』は成立した当初から、琵琶の伴奏で語る、いわば語り物の芸術でした。江戸時代に書かれた『葉隠』の中に、那須与一扇の的の段を聴聞した小田原藩主が、はらはらと落涙し、それを見た家臣たちが驚いたところ、藩主は、そのときの与一の心中を察してもみよ、追いつめられた彼の心中を想像すれば、だれも泣かずにはいられぬはず、言ったそうです。学問としての『平家物語』の追究も、こうした国民文学としての作品の魅力を、表現、登場人物像の形象など、多方面にわたって、深く掘り下げることが肝要でしょう。今回ご質問をいただくきっかけとなった、平清盛の描き方についても、『平家物語』とその他の資料とでは、多くの違いが見いだされます。『平家物語』における、清盛外の平家の人々、木曽義仲、源頼朝、義経……それらを包み込む黒雲のごとき後白河院の存在など、『平家物語』はこれからも、我々現代人にとって、さまざまな表情を見せてくれることでしょう。
福山大学の学生諸君にもその魅力の一端を伝えたいものと念じています。

M:位藤先生、ありがとうございました。
物語は童話的で、小説は文学的だと思っていましたが、全然違っていました。お話を聞いて大変魅力を感じ、現代文に訳されたものを読んでみたいという衝動にかられました。

では、学長どうぞ!

学長から一言:位藤教授の六つの講義に出てみたくなりましたね。外部の人も,教務課で手続をすれば聴講できますよ。